昭和40年9月1日 朝の御理解★


 お願いをさせて頂くと、そういう願いとかお詫びとか、またはお礼とかと、言うような、言葉をいかに麗々しく、言わば美言美句をもって奏上し、申し上げましても、神様がそれを、おー、一つ一つこの合点して受けて下さらない。ね、お詫びをしても神様が、っとこう、おー、縦に首を振って下さらない。お願いをいたしましても、聞いてくださったか聞いてくださらないか分からない。お礼を申し上げても、一緒に神様が喜んでくださらない。というようにその、神様と私どもの間に、交流するものというものが、通う、通い合うというものが、あー、なかったら、その祈念は意味がない。
 「はあ、神様すいません」一言、一言のすみませんが、神様はそれでよしと、例え言うならば、そんなら今度は、今度はしようがなかというふうな、その、お許しを下さる。いかに、ようはその、よい言葉を使ってお詫びしても、よい言葉を使ってお願いをしても、お礼を申し上げても、神様は聞いてくださらない、場合がたくさんあるんじゃないでしょうかね、お互い。
 それは例えば、んなら、もう意義を正して、お冠をかぶって、お装束をつけて、そして、えー、ま清浄(せいじょう)な雰囲気の中で、そして、長々とお祝詞を読まれる、先生方が、お呼び出しかなんかの時に。これはもう素晴らしい美言美句をもって、いわゆる神様言葉をもって、人間の言葉じゃ通じない、あの人神様言葉で、言うならあの大和言葉と申しますかね。畏み畏みも申すと言ったような言葉をもってつづっていたしましてもです、神様が聞いてくださらない証拠には、次のひれいになっていないですもん、例えばそのお広前ならお広前が。
 ね、あわせて、えー、その、お願い申し上げますと言うて、最後に例えばお願いなさることがです、成就していないとするならば、その祝詞の中に、書き上げてあるところの、おー、願いというものが、神様が聞いておって下さらないということになるわけ。なるほどあれは、マイクを前にして読みなさる、言うなら後ろに参っておる信者に聞かせるためのようなことになっては、つまらんですわな。神様はマイクに、を通さなくても、ね、心の中で思うただけでも、本当一つ一つ合点して下さるもの。通えば。
 ね、ですけん、皆さん共信心の稽古させて頂きなさるならば、私が申し上げたこと私が、あー、奏上させて頂いたことを神様がっとこう、合点して聞いて下さるところまで一つ、信心を進めていかなければいけないと思うんですよね。それは人間はうんなら、完璧な人間にならなければそれを聞いて下さらないかというとそうじゃない、もうそれこそ欠点だらけ。欠点だらけだけれどもです、なんとはなしにあの人の言うことは神様が聞いて下さると、そんな人があるです。
 そこで私は思うんですけれども、なっご大祭の日だけではいけん、いわばご神前に額ずかして頂いた時じゃいけん、拍手して神様に向こうた時だけではいけない。もう常日頃に、そこんところの信心が、でけていなければいけんなと私は思うんです。総氏子が思うておること、総氏子が行うておること、神様が、見通しなのですから、聞き通しなのですから。本当になんとまっかわいらしいこと思うておるじゃろうか、なんとかわいらしいことを、おー、しておるであろうかと、まあそれは、神様の目からご覧になりゃそのくらいなことでございましょうけれどもです。
 ね、神様がお喜び頂ける、神様が心を傷つけない、神様に暗い思いをさせない、神様に悲しい思いをさせない。あればっかりはもう十五年も椛目で信心の稽古をさせて頂いておるのに、あげな(横着な事?)ば思っとる、まあだあげな汚かことをしよると。ね、もうこの氏子ばっかりはもういくら言うて聞かしたっちゃ同じこって、といったような、ものがあってはいけんと私は思うです、ね。
 相思相愛ということを申します。お互いに、思い思われておると。これは男女関係なんかん時に、それを使いますけれども。私共と神様との仲にです、ね、神様を思う切なる心、また神様がその氏子のことを思うて下さること、また切である。例え、氏子が仕事場にあっても、畑の中にあっても、神様が思い続けておって下さる。また、私共は仕事場におっても、畑の中にあっても、神様のことを思い続けておる。それが、相縁。それが合い寄り添う時にです、ね、あーもすーも言うことはいらん、もう、思たとたんにです、ね、お互いの心はもう結ばれておるんです。
 人間ですから、様々な欠陥もありましょうけれども、様々なお粗末ご無礼ございましょうけど、神様すみませんでしたと、うんよかよかっち、っと神様がまあ言うて下さるようなです、ふうに。実はこういうことで困ったことがあるんですけれども、どうぞよろしくお願い致します、それはどうとかしとかじゃこてと、と言うて下さるように、お礼を申し上げさせて頂く。ああよかったねと言うて神様も一緒に喜んでくださるような、お礼であり、お詫びであり、または願いでなからなければならない。ね、ためには、ただご神前に額ずかして、いわゆる意義を正して、素晴らしいいい言葉を使うて、大きな拍手を打たせて頂くということだけが、神様に聞いて頂くということではないということ。
 ね、そういう意味で私は、お道の信心というか、私共が拝ませて頂いておる、神様のご性格があると思うですね。こういうような方法をもってこなければ、こういうふうにしなければ、神様が現れなさらんというのではなくでですね。いつでもどこでも、ただ私共の心次第に、そこに神様が現れ給うという。しかもそれは、親子の心情をもって。ね、(周りのその?)恋愛関係にある、あの、おー、蜜のような甘いです、いわゆる情感をもって。ね、私共と神様との中に交流するもの。
 昨日、小倉の富永さん達親子が三人連れでお参りしてみえて、午後からでしたか、そこでお茶でもあげて、それからテープでも聞かれた後にです、私がお茶をあげ、お茶を出しとったら、もうハエがいっ、もう最近特にこのハエが多いんですよね。最近の椛目はハエばっか、もうどうにもしかたがないと、私こうやって追いながら、しとったら、富永さんが言われることが、先生もう本当にもう、小倉辺りにおるハエはとても不潔なんですけれども、もう椛目のハエは一つも不潔に感じないと言われるわけなんです。ね、可愛らしい。なんとはなし、椛目の、そのハエは愛嬌があるっち言うような、言い方をされるんですよね。ほうなるほどなあ、改まるちゃこげなんことがあろうと私は思うた。もう、椛目んもんなら悪いかっでんよかごと見える。不潔なものでも清潔に見える。いやもうそれこそ、可愛らしいとこう。またその不思議に椛目のハエだけは、その、不潔に感じないのですよっち言ってから、言われるんですがね。それがまんざらその、お世辞だけでもなさそうな。
 私共と神様の中に、こういうことになってきたらいいんですよ。ね、不完全であり、ね、実は不潔であり。もう本当にこの人ばかりはというような不潔なものがあってもです、神様が、それがむしろ可愛らしいと言うて下さるようなです、私と神様の中に、そういうような、交流するようなおかげを頂きたい。
 (初代、激しく咳をされる)夕べです、御祈念がすんでから、私もう、咳がでておりますもんですから、あの、御祈念中に、あの、咳、あのタンを取って、紙に取って、あの御簾の向こうの方へこうやっとたんですよ。で繁雄さんがいつもあそこのお茶のあれをなさいますから、繁雄さんそればちょっと片付けといてっち言ったら、家内が来てから言うこつですもん、こげなん汚かもんば繁雄おっちゃまにそげなこつ言うちから、私に言いなさいあんたこれしてから(笑)。ね、繁雄さんは決してあれを汚いと思うておられんとこう、いうようなものがあるんじゃないでしょうかね、私の心の中に。こげな汚かもんば俺に扱わせて、っていったものを、繁雄さんの中に全然感じないんですよ。ね、そういうようなものがです、お互いの中に交流しなければいけないと私は思うんです。
 (初代、咳をされる)(テープ悪い)御理解中にこうやってから、咳をだしたらタン、もう先生ばっかり汚かご結界でと思いよんなさる方は、交流しよらん人ですよ。はあ先生、おきつうあんなさろうと思いよる人は、もう交流しよる人(笑)。そうなんです、ね、もうお前は咳するけん俺は好かんっち、神様は仰るような方じゃない。お前はタンを出したから、という神様じゃないって。もう、それこそめめて、食うてもよかごと、神様が思うてござる。ね、好きなもん同士ならああた、それこそ、口と口とを重ねおおても有り難い、うれしいじゃないですか。ね、そういうもん。そこです。
 神様にそういうような、その、おー、見方思い方をして頂き、また私共もそう思いよるというようなおかげを頂くために、どういうような信心をさせて頂いたらよいか。もう九月の、今日は一日でございますからもうこれは、今月の一つの信条としてですね、私はこういうなことを思うておる。今日、そのことを思わして頂いたら、★大きなナマズがね、こう、私共の正面向かって、こーあのヒゲを、こーゆたゆたさせながら、泳いでいきよるところ頂いくんですよね。ああ、今月はこれだとこう思うた。ですから皆さんも、どうぞそれを、それをです、特に心にかけられておかげを頂かれたらいいです。
 もうそのナマズといやぁですね、ありゃあの地震を起こす時は、おー、それこそナマズが起こすというくらい。ね、言わばその、天地を揺り動かすような働きがある、ナマズには。ところがあのグロテスクな格好といいですね、あのヒゲといいです、あの広い口といいです、もう、それじゃ可愛らしいとは思われませんですね。まあ可愛らしいなら見えんとこ見えれると言うたら可愛らしい事になるかもしれん(笑)。私共がですね、いっちょんヒゲだけは立てん事しときましょう。
 もう家の女房はヒゲは異常なぐらいいけんですま私は修行などと同時に(  ?  )買うでもヒゲだけで売っちゃおらんでしょうが。久富先生が明日からお参りされる、一群れがこうヒゲ立てて、あー、何歩そんならもうそのあちらの、おー、その現地人を脅かす言うてヒゲを立てるそうですて、いわばこっち帰って来なさったっちゃ(川にチョボに?)上げてもらったですもの。で私がもう段々神信心が分かって見えた頃でしたから申しました。
 久富さんいっちょあんたヒゲば落として来なさい。ち、後で綺麗に落として来なさい。して皆さんこのようにもう、あそこあの、お母さんが死に、お父さんの事はパパママと言うわけなんですね。パパそれだけはお父さんから(  ?  )ち言うただけれども、いいや椛目の先生が仰ったけん。ち言うのは知っておったわけです。今でこそ、笑い話残っておるんですけれども、私そのヒゲは好かんです。
 しかもそのヒゲ、人にそのよう見せようとか、それを威嚇するような(  ?  )尚更好かん。心の中にヒゲがあっちゃいかんです、山鶴ごたるヒゲがこうやってそのとにかく生えておったんじゃいかんです。ね、魚になっちゃいかんちゅうことです。どうでもその実意丁寧神信心が身に付いてです、ね、ほんとに私はもうそれこそ、おー、地に平伏すような姿こそ神様が喜んで下さる姿ではなかろうかとこう思うんです。
 ね、どうもその私はあのナマズの口の広い所が神様の機感にかなわんのではと思うんですね。口が広いということは、えー、どういうことでしょうか。まあ私は卑しいからだとこう思うんですね。もう今月卑しい事いよいよ一つ過ごしましても、いっちょ卑しい事なんかもうせんことにしましょうと。
 そりゃ貝類だけの事ではありません、いろんな事に、ね。もうあの人ばかり汚か人であるというようなことは、神様から嫌われるですね。まああの人ばかりは心が美しいと、ね、これはもう物やら気にするなら食べ物だけの事じゃありません、いろんな物です。ね、私共の性根の中に根性の中にあるところの汚い心のです、本気で本当にあの人は美しい、美しい人と美しい事美しい人だと。
 例えばね、純なままで汚い人があるでしょうが、金を持っとったっちゃ、もうそれが(なんにでも払いきれとらん?)という人が、ほんとですよ。私共商売しっとたらそれが分かる。もうあそこばっかり汚い、もうあったっちゃ払わん。というてもあるです。(買ってもらうと?)もうキンチャク逆さ、叩いてから買わせるところがある。ね、もうまた、(     ?     )とこがある。
 それども美しいか美しなかかすぐ分かる。ね、そういう意味でです、金銭とか例えば物とか食べ物だけの事じゃないですけれどもです。もう、一つ本気で限りなく美しゅうなろうじゃないですか。ね。でその私がナマズを頂いてからそれをいよいよまた深く思うた。ね。卑しい心取り除かせて頂こう、そして、私共の心の中にあるヒゲのヒゲを一つ除かせて頂こう。実意丁寧神信心にならせて頂こう。
 そういうような常々のです、思い方やら行いがです、ある意味こうと神様が私は認めて下さるというかね、いわば思いを寄せて下さるというか、ね、神様が心をこちらに向けて下さる事であるとこう思うのです。ですから、いつも神様に注目されておる。いつも神様に酔いを味わえとか、あれも仕事になれというような体の難儀とかを拍手それこそ打っとっなたら、こっちを向きますわ。
 すぐに先生早速合点して下さる。というようなおかげも頂けるような泥の方だと私は思うのです。ね、必ずしも美言美句を持ってして申し上げる事はいらん。強引に神様に聞いてもらわんならんと、ほんと強引に取るではなくてです、ね、そこにほんとうに何と言うんでしょうかね。いわゆるその、(いうならお互いに?)交流しおうておる、その交流しおうておるその道を辿っておかげが流れてくる、私共の願いがこうかよって、えー、工事をするというふうなおかげを頂く為にです、今日私が申しましたところのです。
 例えば願いやお詫びがお無礼が、ね、神様にお聞き届けを頂いておるんだからすいません、ありがとうございました。( ? )のようにいたします。とお願いをさして頂く時に、神様がそれを一つ一つ、うー、合点して下さる。もし例えばそれがなくてもです、それはちょっと待て待てとお前それはと言えるんだけどもね。それはもう少し先のほうがよかろう。まあ参って辛抱しとけとこう言うて頂くと(  ?  )スーッとしてから、胸がスーッとしてからね。
 また辛抱する気が起こってくる、そこは人間と神様の思いの相違であるから違いないけれども、ね、そこにまた向かして頂くとです、またこちらの気分も(   ?   )そういうようなものを感じれれる私は信心にならなければいけない。単にいよいよです、限りなく美しゅうならせて頂こう、限りなく実意丁寧にならせて頂こうというところに、いよいよ焦点を置かして頂こうと思うのです。おかげ・・・(途中終わり)